生きることはエクスタシー♡

人生を創造し続けている独身アラフィフ女の、日々の出来事と気づきを綴ります

大晦日に燃やしたラブレター

こんにちは♬

 

気づけば、大晦日

今年の12月は、会社人生 約25年(書いていて気づいた・・半世紀も働いてる!)の中で、最も多忙だった(*_*)

 

昨年からUS本社のトップが大規模な体制変更を決定し、その影響で昨年から大変なことになっているのだが、今年の11月からさらに拍車がかかり、膨大な工数が発生して現場に負担がかかりまくり

 

個人的には大きなプランニング発表のうちの2つ目が12/23にあり、それまではプライベートな飲みや食事会はほとんどいれられず。

週末はもちろん仕事、平日日中は普通に顧客対応が発生するので、夜中3時までとか働き

(担当メインアカウントの一つが国の某研究機関のため、量子コンピュータも勉強しはじめて時間がいくらあっても足りず。量子ゲート方式のシリコン方式、超電導方式、光量子方式の違いだとかなんだとか)

 

せっかくの飲みの予定も断り、またはリスケしてもらい、12/23の発表が無事終わった。

 

そんなこんなで11月下旬くらいからは、男性関係も放置気味に

そのおかげで切れた関係もいくつかあり

 

そんなこんなで、今年のクリスマスは、男性と会う予定は全くいれず

24日も、25日も、大好きな気の置けない同性の友人と過ごした

今年も誰かはさておき男と過ごすだろうと思っていたので想定外!だったけれど、穏やかで幸せなクリスマスイブ&クリスマス♡

 

そんな25日はちょっとびっくりなことがあった。

 

この日は朝ヨガ後、通っているVIO脱毛へ行きお昼頃に終わり、さて、家に帰って料理作って久々のんびり過ごすか♬と思ったところに、ふと半年位会っていない友人女性(プロのバイオリニスト)の顔が浮かんだ

LINEを送ると、ちょうと公演の合間の休みで家におり、ご飯を一緒に食べにいくことに☆

 

お気に入りのお蕎麦屋さんでランチし、お洒落なお店が多い隣駅まで散歩して、カフェでクリスマスデザートを食べながらおしゃべり♬

と、そんなところに、突然、昔付き合いかけた不思議な縁のある男性Kから、LINE。

 

『お久しぶりです。今〇〇に用事があっているのだけど、今日の夜よければ飲みませんか?』

 

え!!!いままさにその〇〇にいるんですけど(@_@)

 

Kは結婚して、今は東京ではなく地元の地方に帰っているので、25日のクリスマスになぜ東京の〇〇に?! 

その男性とは15年前位に、とあるアマチュアのクラシックコンサートで偶然出会い(彼はチェロのトップで参加していて、私は妹の職場同僚が参加していて妹からの誘いで聞きにいっていた)、コンサート後に妹の同僚を探していて話しかけたことがきっかけで連絡先交換。その後食事にいくようになり、10年位の間に付き合いかけては離れて、を2,3回繰り返し。結局つきあわなかったけど、なんと10年位の間に、大晦日を3回も一緒に過ごしたという(笑)(うち2回はKの家と私の家それぞれに泊りで)

 

最後は3,4年会わず連絡も取らず、だったのだけど、また不思議な縁で繋がることになる。

3年前、私が約20年ぶりチェロを復活し、ネットで見つけたチェロの先生にお願いし、1年間位ご自宅でレッスンを受けていた。

その時に私のFB友達リストをみた先生から、『Kくんと知り合いなの?!』と聞かれ。なんと先生とKは地元の高校が一緒で、かつKは先生を師匠としてチェロを習っていたという・・(一番弟子)

 

どんな偶然やねん!!!!

偶然にもほどがある!!!(笑)

 

先生から、『もしかして過去付き合ってたりとか?!』とツッコミがはいったけど、

『いえいえ~知り合いでしたけど、数年会ってないですね』とさらっと流した(笑)

 

その時に先生から、Kが3回目の結婚をして今は地元に戻っていると聞いた。

(3,4年存在も忘れかけてたKの情報を、たまたま習う事になった先生から聞くことになるとは。。)

 

その後は何事もなく時間が過ぎていたのだが、半年前のGWにKから突然『お久しぶりです。東京に用事があって来ているのだけど飲みにいきませんか?』と連絡があり。

そこで3、4年ぶりに再会。

結婚していることは先生から聞いて知っていたので、男女の関係になるつもりは一ミリもなく(実際、そういう雰囲気を一切出さないようにしたので何もなく飲みで終わった)

その時にKに、実はKの師匠である先生に私も1年間だけ習ったという話をしたらKがめちゃくちゃ驚いていた(そらそうだ・・笑)

 

という、まさに腐れ縁と呼ぶべき、ご縁のあるK。

 

そのKから今年のクリスマスに、半年ぶりにLINEが来たとおもったら、同じ場所にいるという(東京のターミナル駅ではないちょいローカルな駅)。

 

カフェに一緒にいた友人には以前Kの話をしたことがあり。Kが今から飲みたいといっているんだけど、良かったら合流して飲むのはどう?と提案。

『結婚してて、しかもクリスマス当日にsolunaちゃんを飲みに誘うって失礼な男じゃない?!』

とあきれ顔の友人

 

友人が望まなければKは断るつもりだったけど、友人から『まあいいけど』と許可がでたので、友人と一緒だけど一緒に飲みますか? とKに返信。

 

私が友人連れということで、Kも友人を誘って合流することになり、合計5人で飲むことに。

お互い初対面同士もいるけれど、それぞれバイオリンやチェロ歴のある、音楽繋がりのメンバー。

一人で過ごすつもりのクリスマスが、思いがけず、最終的には腐れ縁の男友達?も合流して飲むことに。ご縁というのは不思議なもの(笑)

 

 

人は、究極、出会った時点でご縁がある、ともいえる。

 

 

前置きが長くなったけど、タイトルに書いた、大晦日に燃やしたラブレターの話。

 

 

人生で、プロポーズをされたことが2回ある。

(大好きで付き合っていた会社の1歳年上の既婚者が、付き合って1年半位して私と結婚するために離婚したのだが彼に別れを告げたことがあり。彼はカウントにいれないでおく)

 

1回目(1人目)は、20代後半から3年つきあっていた歯医者の彼。

(当時はまだメジャーではなかったネットで出会ったのだけれど誠実でとてもいい人で、私の家族とも仲良くなり、私のためにならなんでもする、というくらい愛してくれた人だったが、結婚したくなくて断った)

 

2回目(2人目)は、30代前半に2年つきあった同い年のS。

 

Sとはネパールのカトマンズで出会った。

ネパールに一人旅にいくことになり、当時流行っていたmixiのネパールコミュニティで、旅仲間と情報交換をしており、その中にSがいた。

Sも会社員で、遅めの夏休みで2週間位ネパール旅行(バックパッカー旅)ということで、連絡先を交換。

お互い初ネパールということもあり、タイミングあえば現地で一緒にご飯でも食べましょう!と話し、先に現地入りしていたSとカトマンズで合流して食事をした。

 

カトマンズで、初めまして、と挨拶し楽しく飲み。

その後私はポカラという町から1泊2日のトレッキング(ネパール人のガイドさん付)で行く予定だったのだが、たまたまSもポカラからトレッキング(3日位)いく計画をたてており。

結局またポカラで合流して、お互いのネパール人山岳ガイドさんも一緒に4人でご飯。

別れて数日後、カトマンズに戻ってきたSと再び再会。

mixiネパールコミュニティで知り合ったネパール在住日本人女性企画で、彼女の彼氏(ネパール人)のご実家でモモ(=ネパール餃子)パーティがあり、Sも参加。

そこで一気に仲良くなった。

翌日、私とS、モモパーティを開いてくれた日本人女性とネパール人の彼氏の4人で、地元の超ーーーディープな臓物料理やさんに食事にいった時に、

その女性&彼氏から、付き合っていると思っていた!と驚かれた。

 

 

Sとは数日前にカトマンズで始めましてで出会ったばかりで、もちろん手も繋いでおらず知人状態だが、

彼らが言うには、二人(私とS)の雰囲気があっていてすごくお似合いで自然、だと。

 

『もし結婚するならネパールで結婚式あげてください!』とSと私に向けて笑顔でいわれ、その時はまだ恋愛感情もなかったので、はははー!と笑って流していたことを、このブログ書きながら思い出した。

 

一足先に日本に帰るSから、日本でまた食事しましょう、と言われてネパールでお別れ。

まあ、旅先でのよくある実現しない約束だろう、と思っていたら、

私が日本に帰国した当日すぐに、Sから食事のお誘いがあり、3日後の週末に新宿御苑でお散歩することに。

 

(そういえば書いていてまた思い出したが、このネパール旅行では、もう一人、日本人男性と出会いがあり。たまたまポカラで泊まったホテルの庭を散歩していてすれ違って会釈したら、偶然帰りの飛行機で後ろに座っており。飛行機の中で再会して隣同士に席をかえてめちゃくちゃ話が盛り上がり、乗り継ぎの関空で一緒に食事して成田までも隣の席で帰ってきた。その時に彼が自分の会社をもって国関係の事業にも関わり頻繁に各国飛び回っていること、ネパールにも仕事で来ていたことを知り(この時飛行機にその人のビジネスパートナーも同席していて3人で盛り上がって話してた)。その彼から帰国後アプローチを受けたのだが、フランスに出張いったり飛び回って多忙なその人とスケジュールあわず、かつSとつきあうことになったので縁がきれた。年齢数歳上で、独身で、さらりとした私好みのイケメンで見た目だけからいえばこの彼の方が好みだったけど。これもまたご縁なんだろう)

 

帰国数日後、Sと日本で初めてデートをした日に、

実はネパールにいるときから好きになっていた、ということで、Sからお付き合いしてください、と告白された。

 

ネパールでの最後の方は私ももしかしたら好きなのかも、と少し思い始めており、日本で再会してみて気持ちを確信したので、喜んでOKした。

 

 

事件が勃発する。

 

 

告白された翌日もデートをしたのだが、その時にSから、実はとある宗教の会員であることを知らされる。

 

私は、宗教は各人の自由だと思っているし、信仰についてとやかくいうつもりはない。

ただし、自分に影響がなければ。

 

私の家は無宗教だが、中高はキリスト教プロテスタント)の女子高に通っていた。

毎日ミサがあったが、それはそれ、で在学中も卒業後もキリスト教とは特に交わらず。

無宗教も、宗教もいずれにせよ、自分の意志で決めるもの、と思っている。

 

しかしSが会員である宗教は、基本親が入っていたら子供も自動的に入る仕組みになっている。

 

生まれた家がそうならそれは致し方ない。

問題はSがそれをそのまま受け入れて、信仰しているということ。

(友人の旦那さんは、親がその宗教会員だったが、旦那さん&そのお兄さん兄弟そろってその宗教に馴染まず、大人になって脱退した)

 

すでにSを好きになりかけており、かといって私自身はその宗教はおそらく受け入れられないという気持ちもあり、狭間で悩んだ結果、正直にSと話してお付き合いしながら考えてみる、ということになった。

 

その後、宗教関係ない、Sの高校時代の友人達や、Sがアメリカ留学していた時の友人達にも沢山紹介してもらい、彼らと一緒に飲んだりもしていた。

彼らと一緒にいることで見えるSの人柄やキャラを知るにつけ、ますますSのことが好きになっていった。

 

2か月後にはSが親に紹介したいということで、Sのおうちで食事をすることに。

私が基本無宗教であることと、Sの宗教に入るつもりはないことは事前に伝えて理解してもらったうえでの食事会。実際、『入らなくてもいいのよ』、とお母さまには言っていただいたが、本音は違う、ということもまた感じ取っていた。

 

その少し後の大晦日

Sと品川のプリンスホテルで年越しをすることになっており、食事して部屋に戻り、日付が変わる0時を一緒に迎え。

その時に、Sからプロポーズされた。

 

Sがプロポーズのために用意していたネックレスを目の前に、プロポーズの言葉に固まる私

 

まさか付き合って3ヶ月位、しかも宗教問題で悩んでいることをわかっているのに、プロポーズされるとは夢にも思っておらず。

 

(後から聞いたら、指輪は私に選んでもらいたいと思って、あえてネックレスにしたとのこと。会社の同僚に相談してプロポーズにふさわしいブランド決めたそう、

ちなみにそのネックレスはSと最終的に2年半つきあって別れた後に処分するか迷ったが、お気に入りだったのでそのまま保有してたまにつけていた。しかし数年後、会社の健康診断でレントゲン車のタラップにはさまれてチェーンがちぎれてぼろぼろになる&ダイヤも一部とれる事件発生。ブランドに電話したら数万円で修復してくれるとのことで再生復活。これによりSのエネルギーは無くなり、自分で買ったということにして気兼ねなくつけれるようになった♫)

 

大好きな人が目の前にいて、プロポーズされたのに、笑顔で受け入れられないことが、胸がつぶれそうなくらい悲しかった

 

宗教の問題の落としどころがみつかるまでは、Yesとは言えない、と伝え

SはSでショックを受けており何ともいえない空気のまま朝を迎え

元旦から話し合い

 

 

すぐに結論は出せない(結婚or別れるの二択はできない)こと

このままではお互い好きなので結論だせないまま付き合ってしまうことになるが、

女性である私は子供を産むなら時間リミットがあり、ずるずるいくのは良くないと思う、だから1年間と期限を決めてつきあい、1年後に結論を出そう

 

とSが言ってくれた

そして1年間、お互いに本当にやっていけるのかを見極めることになった

 

その間、私はSの宗教を知るため、中立の立場でかかれた本を読んで成り立ちから学び、会合にも重たい足を運んでみたり、会員と非会員同士で結婚した夫婦にあわせてもらって話を聞いたり、と色々やってみた

 

1年間、Sの海外出張に休みをとってついていったり、Sとはあちこちでかけて沢山の時間を一緒に共有した

 

そして1年が経ち、再び話し合った

私の中で、この条件だけは譲れない、というものをいくつか挙げてS伝えたが、Sにとってはそこはとても大切なことで、Sの方も受け入れられず

(私があげた条件は、子供ができた時に20歳になるまでは活動に参加させない、とか、私および私の家族、友人達に一切の勧誘をしない、等)

 

どんなに好きでも、永遠に超えられない壁

1年前にも頭ではわかっていたけれど、好きで離れられなかった

 

宗教って、いったい何なんだろう

人を幸せにするためのもの、という定義がそれぞれの宗教にあるならば、なぜ人を不幸にすることが起こるのだろう

Sに最初に告白されてから、何度も繰り返し自問自答した

 

 

本来、多種多様な価値観があるのが世界

自分とは違うけれども、違うものが存在している事実も受け入れる(違うものも等しく尊重する)、という状態であればよいのに、自分が信じる価値観以外のものへの否定が入った瞬間、そこに溝や壁、争いが生まれる

 

人というのは本当にややこしい生き物

 

あ、さらっと書くつもりが、回顧録のように長くなってしまった!!

(毎度つい(笑))

 

で、今回

昨日(大晦日前日)の大掃除で、15年前のネパール旅のアルバムを整理していたら、そこから、Sからもらった手紙がぽろりと出てきた

 

読んで、色々懐かしく当時のこと(上に書いたこと)を思い出した

 

存在すら忘れていた手紙だけど、

今出てきたということは、昇華してあげるタイミングなんだろう

 

と思い、火をつけて燃やした

灰になって、大晦日の澄んだ空気の中、風に流れていった

 

 

といいながらだけど、一応ここに書き留めておこうと思う。

(手書きでかかれたSのエネルギーの乗った紙は昇華させ、Sのエネルギーを切り離してただの文章(文字列)として)

 

何故書き留めるかというと、この手紙を読んで、今回色々なことを考えさせられたから。

Sという存在とは関係なく、自分にとって大切なものとは何か、と。

 

 

いつかこれも削除するかもだけど。

 

My dearest ●●

今晩は!

あの日から1週間が経ちましたね。

そして初めてカトマンズで出会ってから、もうすぐ1年と1/4が経とうとしています。

 

以前にも言ったけど、これまでの人生で最も自分にとって輝いていて、充実して幸せな時をすごせたことに、ただ、ただ、感謝しています。

ありがとう、本当に。

 

出会ってから、付き合うようになってから、●●は、俺が最後に愛する人でありたいとずっと思っていました。それは、今でも変わらないよ。

 

でもお互いの価値観、幸福論、そして人生論が一致しないと、これ以上先には進めないよね。

当然、結婚というのは本人同士だけでの問題ではなく、2つの家族の問題でもあるからね。

俺のBaseとなっている信仰、価値観に同意できないのは残念だけど、それは●●の決める事だから、それには敬意をもって受け入れるしかないと思っています。

 

この前、●●は『本当の幸せって何なんだろう?』と言っていたよね。

俺なりの答えというか、思っていることは、”自分の今、持っている財産や、肩書き、実績などすべてを失っても幸せと思えること”なのではないかと思う。

●●とはつらいことがあっても、一緒に乗り越えていくことができると思っていた。

 

なんか、何言っているのかよくわからなくなってきてしまったけど、●●とは死ぬまで一緒にいたいと今でも思っているよ。

 

俺には、その幸せになるためにこの信仰が必要なんです。

この仏法の素晴らしいところは一言で言うのはむずかしいが、自分の持っているものを自分なりに最大限に発揮できることだと思っている。俺はそうしてこれまで生きてきた。なのでこの信仰を否定されてしまうのは、俺という人間を最終的には信頼していないという事になるのだと思っている。

同封の記事は、xxの紹介です。へえ~と思ってくれれば幸いです。全然まとまってないけど、これが俺の今の心境です。

 

Mega loveを込めて ▲▲』

 

Sには今は感謝しかない

 

 

袖振り合うも他生の縁

 

しっかりと深く関わるのは、さらに今世深い縁があるということ

 

人生の中で

大小さまざまなご縁が、沢山の糸となって繋がり

曼荼羅を描いていく

 

 

今この世に生きているからこそ存在する糸

 

人生は、本当に興味深く、

そして愛しい

 

 

さて、今年も残すところあと数時間✨

 

どんな一年でしたか?

私の今年は、このブログに書きとどめたとおり、ドラマチックな一年でした(笑)

(仕事も・・・(笑))

 

 

読んでくれて感謝です💖

 

来年もよろしくお願いいたします💖